とある講座を受けている。
今日は、その中での気づきを自分の振り返りの為に書きとどめておく。
その講座は、私にとても自由な感じを与えてくれる。
その自由さが、私に不自由な感じを与えてくれる。
だから私は、自分で枠を作り出して、その中から出ないようにマイルールを設けて勝手に苦しむ。
またある時、私は、自主トレの中で『我を忘れる怒りと悲しみ』に溺れた。
口には出さなかったけど、全部相手のせいにしていた。
その次の自主トレで→メンバーは交代し、自分が話を聞く人になった。
その方から出てきた感情をありのままに受け取って、ともにいるだけしかできない自分を責めていた。その人から湧き出てきた感情を『どうにかしなければ』と思ってしまった。
私が感じた『どうにかしなければ』の焦りの気持ちは、前回自分が感情に溺れて、相手のせいにしていたからだ。自分で感じ切ることをせずに、全てを相手のせい(外部環境のせい)にしていたから。
この、『すべてを外部環境のせいにする』は私の古くからのパターンだ。
結局ここに戻ってくる。
湧き出てくる感情に「いい・悪い」はない。
起きてくるプロセスにゆだねる。
今回の講座参加で、とても腑に落ちた。
言葉で聞いていて、頭で理解していても実感からは遠かった。
昨日は、それを体験することができた。
全ての感情の出どころは一緒なのである。誰が何と言おうと、私にとって、そうなのである!